私は登山をすればするほど日常の中の物欲はだんだん薄れていき、必要なもの以外あまり欲しくなくなっていきました。以前はあったらいいなって物は欲しくなり購入していましたが、今はなくても困らないなって物は購入しません。
この心情の変化は登山するの中で生まれたもので、現代のh生活はあまりにも便利で必要なものは大抵身の回りにあり、生活できています。整ったインフラや衣食住などの必需品に恵まれた生活は当たり前ではなく幸福なことで、これ以上に求めるものはありません。
物欲が悪いと否定することはないですが、自身にとって最低限のものが整っているだけで満足と感じます。これは資産増加と物欲の関係でも似たような感覚になります。
現代では人は必要以上の欲を出します。これは見栄や優越感など人と比べてどうか?に基準で物を欲しがり、更に欲を生みます。本来必要だから買うものが、よく見られたいから買うという承認欲求が先だってものを欲しがってしまします。この資本主義社会では人が欲しがるもの、価値があるものが価値を上げることでなりったてることは確かで、否定もできません。そこに生まれる欲は無限に上がり広まるものです。
この欲の無限ループ、ラットレースから外れた者が新たな視野が広がっていくものと思います。ものが欲しいから買える。でも必要か?と考えるようになると本当に必要なものは限られて、買うものがなくなっていきます。そして資産が増えれば増えるほど時間を買うことができ、時間を使って自分が幸福に感じること、経験や自己投資に資産を使えることで更に幸福度が増していきます。
私自身は登山が好きで、登山に時間を使いたいです。登山はひたすら歩くのみ。山頂では景色を眺めるのみ。しかしその瞬間の時間や経験が最大の幸福を感じ、次のステップへ進みたくなります。資産がなくとも登山ではこの幸福感を体験できる素晴らしい経験になるのではないでしょうか。自分の経験や思い出は死ぬまで一生もらえる記憶の配当として受け取ることができます。